もうゴールデンウィークも終わりですね。
休みがあってもダレるだけなのに、休みが終わる瞬間は切ないものです。
もう昼まで寝ていられない切なさ。
それはともかく、掌編を一本書きました。
ちなみに今回はPDFではありません。
そんなわけで以下掲載。
はさみの手 作・立談百景
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朝、目覚めると、右の手がはさみのようになっておりました。
蟹のように、赤い、ごつごつとしたやつです。
布団をはさんでめくると、ぶつりと綿の切れる心地がしました。いつもの癖で右手を使ってしまったのが悪かったのです。ああこれはいかん、妻に見つかれば怒られるぞと思い、私は左手を使って布団をめくりました。
随分と勝手の悪い手になってしまったものです。
*
「こんなんになってしまったがね。」
私は妻に右手を掲げて見せました。
妻は居間で縫い物をしておりました。
「まあ、まあ。大変ですこと。」
「どうすればよいね。」
「お医者に診せてはいかがです。」
「医者は嫌いなのだ。」
「そんなことを言っているときですか、十之助さん。早く支度を調えてください。」
妻は縫い物を途中で止め、すぐに私に身支度をするよう言いました。
私は襦袢に浴衣を羽織っただけの起き抜けの姿です。何せこの手では着物も満足に着られないのですから、困りものです。
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医者に行くと「それはなんだね」と驚かれました。医者にさえこの手は理解に翳るのですから、いよいよ私はどうしたらよいか分からなくなりました。
医者からは一巻の包帯を渡されました。これで右の手を隠して置きなさいとのことです。
しばらくは不便が続きそうでした。
*
それから幾日かは、用を足すにも、机に向かうにも、片手で動くのに一苦労でした。右手の包帯を取るのは寝るときと、湯を浴むときだけでした。
近所の馴染みにかれこれ事情を話してみるや、カラカラと笑われました。
「そいつは君、実に難儀だねえ。カラカラ…。」
「人ごとだと思いおってからに。」
「人のことだろうに。いやイヤ、実に愉快な話じゃあないか。」
「不便でならんよ。」
「まあ、何かあれば遠慮なく言いたまえよ、十之助。仕事はつっかえておらんかね。」
「両利きではないのでね、文屋としては四苦八苦していたよ。だが左で文字を書くのも、上達してきてね。」
「なるほど器用な男だとも、君は。俺の出番はなさそうでよかった。」
「何かあったら、頼むよ。」
「何かがあればな。それじゃあ、くれぐれも奥方にはよろしく言っておいてくれよ。器用な君が捕まえた、大層な嫁さんだ。」
「そうだな。くれぐれもよろしく言っておこう。今度、酒でも呑みにきたまえ。」
「是非そうさせてもらおう。」
*
私は昼餉をこさえる妻に、先の馴染みとのやりとりを呟きました。
「今朝、ジンの奴に右手をからかわれたよ。」
「まあ、甚右衛門さんに。あなた方は仲がよくて、妬いてしまいますわ。」
「腐れ縁だがね。しかし全く、この手は不便だ。」
「ちっとも治らないのは、困りましたねェ……。あなた、何か心当たりはないのですか。」
「心当たりかね。」
「何か、そのはさみの手を持つことになった、理由でございます。」
「ふむ。」
私は妻に言われ、ふいと考えてみました。蟹の様な手を持つ理由です。
しかしそんなものはとんと見当もつきません。蟹に怨みを買う憶えも、はさみに呪われる憶えもありません。
「何かの気まぐれではないかしらん。」
「気まぐれで、ございますか。」
「神か仏か。蟹かはさみか。そんなものが気まぐれに、私の手から便利を奪ったのだろう。」
「呑気なご意見ですわ。」
「うまく折り合いをつけるしかあるまい。治ればそれでよい。しかし治らねば、この鋏手で過ごさねばなるまい。」
「はさみの手なんて、うまく使えませんよ。」
「最近は左手でも文字を書けるようになってきたよ。なあに、慣れればよいのだ。」
*
そうは言っても、はさみは手になりえません。私は結局、はさみを包帯に巻き付けたままにしておきました。紙に物を書くとき、文鎮代わりにはなりえます。しかし着物の帯は結べず、眼鏡もうまく上げられず、髪が切れてしまうので頭も掻けません。
しかしそんな右手でしたが、十日も経てばその程度しか使えない生活にも慣れていきました。仕事も、以前よりは筆が遅くなってはしまいましたが、それでも差し支えないくらいにはこなせるようになりました。
もうこの右手はこんなものだろう。
そんなことを思いました。
私は普段の生活通り、右手にも不満を漏らさなくなりました。
「おはよう、菊子。」
「あら、十之助さん。おはようございます。」
起き抜け、居間の妻に声をかけました。菊子はまた縫い物をしておりました。
「縫い物か。朝から精が出るね。」
「あなた、時計はごらんになりましたか。もうお昼に近い時刻ですよ。」
「私が起きたときが朝なのだ。今は朝だよ。」
「あらあら。まるで神様ですね。」
「私は人だよ。右手はこんなだがね。ああ、ところで。この右手を覆う包帯だがね。医者にもらったやつを切らしてしまったよ。何か、替えのものはあるかい。」
「端布でよろしければいくらでもありますよ。」
「いや、包帯の方がいい。そうだな、昼になってから、薬屋にでも行ってこよう。」
「そうですか。それじゃあ、もう少し縫ったら、朝餉を用意しましょうね。」
「頼むよ。」
私は卓袱台に肘をつき、妻の縫い物をじっと見ていました。
やがて妻は糸を留め、布を膝の上に置き、裁縫箱を漁り始めました。
「どうしたね。」
「糸切りが見あたらないのです。」
「寝室ではないのかね。」
「そうかもしれません。ああ、ちょっとあなた。」
妻が私の傍へ寄ってきます。何事かと思う間もなく、妻が私の右手を取り上げました。私の右手の包帯が外され、はさみが露わになります。
「どうしたね。」
「どうぞ、そのはさみでこの糸を切ってくださいまし。」
「む。このはさみでかね。」
「ええ。そのはさみでございます。」
「うむ。」
妻が差し出す布切れから出た糸を、私は右手で、ぷつりと切ってあげました。
妻は喜んでいます。
妻があんまり嬉しそうに笑うので、私もつられて笑ってしまいました。
「十之助さん、便利な手を持ちましたね。」
「ああ、そうかも知れないね、菊子。」
<了>
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今回は大正っぽい雰囲気を目指して書きました。
昔の女性はすごく良い。